身長の調子がわるい

筆はきまぐれ

ずるずる

 

 

 

 

こんばんは、誰に見せるわけでもなくブログを書き溜めている人間です。

 

 

高校2年生?の頃からTwitterで呟き続けているんだけど、その頃からFacebookだけは絶対にやりたくねぇなという強い気持ちがある。

「顔出しの風潮がある」「みんなフルネームで登録してる」みたいな、なんて言うんだろう、すごくプライベートな部分のコミュニケーションを必要とされるから無理なんだと思ってた。

ただ、それだけでもなかったらしい。

 

 

Twitterってどこまでいっても閉鎖的で、その名の通り一人で「呟く」ことが許されている空気がある。

見ている人もそれをわかった上で覗いている。

いいじゃんと思ったら思ったなりのアクションを起こす。

特に可も不可もなければスルーする。

アカウントひとつひとつの感情が一番シンプルに等身大で表現されてると思う。

 

一方、Instagramを見てると「何かを情報発信したい人」が多くてビックリする。それだけ、Instagramで情報収集をする人が多いってことなんだろう。

元々SNSってそういうものなのかもしれない、ソーシャルなネットワークだし。

でも他人に何か伝えることで満たされる感覚が分からないな。

 

 

 

ラーメン垢作れば?って友達に言われて、こんなことを考えてた。

食べたラーメンを誰かに見せびらかす事は好きなんだけど、味、評価、場所、値段、その他諸々の情報をまとめて不特定多数にオススメできるほどのエネルギーは持ち合わせてないんですよね。

というかオススメすることで得られる幸福が無い。

 

自分がうまいものを食べたいという気持ちはある。

ただみんなにうまいものを食べて欲しいという気持ちは正直無い。

無いというか、好きにすればいいと思う。

 

 

すみません、前向きに検討させていただきます。

 

 

 

 

 

そう思うとやっぱり、☆(お気に入り)ってめちゃめちゃ閉鎖的でエゴイズムを感じるいいシステムだったと思う。

 

インターネット老人会より

 

ではまた